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「鬼哭街 鬼眼麗人」を読んだ

虚淵玄さんの「鬼哭街 鬼眼麗人」を読んだ。

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鬼哭街 鬼眼麗人 (角川スニーカー文庫)

鬼哭街 鬼眼麗人 (角川スニーカー文庫)

鬼哭街 紫電掌」の下巻にあたる。

amabiee.hatenablog.com

本書では、自立型ワームプログラムを操る稀代の電脳犯罪者「網絡蠱毒」こと呉榮成、並み居るサイバネ外家拳の使い手たち、義眼のレーザーサイトに制御される投擲武器をふるう暗器使い「百綜手」こと斌偉信*1、そして主人公の兄弟子「鬼眼麗人」こと劉豪軍と、とどまることなく最後の幕切れまでアクションで駆け抜ける。

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そして、鬼眼麗人との壮絶な対決の場面から急転、静かなラストを迎える。

前回書いたアクションの魅力と並んで虚淵玄さんの脚本のもう一つの魅力が結末というか読後感であり、それが本書でも良く表れている。

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ダークな世界とかバッドエンドかハッピーエンドか、などというより純粋に「残酷」な結末。

この復讐劇の発端となった主人公の妹の魂は5つの肉体へバラバラに分割され辱められつづけている。こうしたアダルトゲームだからこそ表現できる設定も、魂魄データの生体脳から自動人形ガイノイドの人工の記憶媒体への移転というサイバーパンクの世界観の中で、詩的なファンタジーというよりはSFとしてクールに表現されている。アダルトゲームとしては「濡れ場そっちのけ」な作風ということだが、この世界観・シナリオは「濡れ場」を許容するメディアでこそ成立しているとも言える。

物悲しく寂しい、登場人物たちの未来に希望などあるとは思えないようなラストでありながら、読み手を不快にさせず、どこか幸福感すら感じさせるような不思議なシナリオは、虚淵さんの他の作品にも共通する独特の味わいである。

確かに虚淵玄さんの魅力をストレートかつコンパクトに満喫できる作品でした。

*1:まあこの人は完全に「かませ」なんですが。