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「みなと横浜片思い」と「良平のヨコハマ案内」を読んだ

柳原良平さんの「みなと横浜片思い」(1983年、至誠堂)と「良平のヨコハマ案内」(1989年、徳間文庫)を読んだ。どちらも書き下ろしの模様。

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柳原良平さんと言えば、一般にはサントリーアンクルトリスで有名だが、彼が「船キチ」を自称する大の船好きであることもまた有名だろう。

これらの本は横浜に移り住んだ著者がまさに「横浜みなとみらい21」の開発がはじまるころ、横浜への愛と夢を語り、実際に都市開発に関わるようになった出来事や思いをまとめたものだ。

書かれた時期は「みなと横浜片思い」が後だが僕はこちらを先に読んだ。

整理すると東京が前後一三年間、京都が八年間、西宮が二年、豊中に一〇年間。横浜の二五年は抜群に長いのです。江戸っ子は三代前から東京に住んでいないとそうは言えないと言われていますが、ハマっ子は三日横浜に住めば資格があるのです。私なんかも堂々のハマっ子かもしれません。

柳原さんは元町にお住まいだったそうだが、今やプライドが高いと言われる横浜の美徳として「三日住めばハマっ子の人の良さ」を挙げているのは大変面白い。

内容は「みなと横浜片思い」が「みなとみらい21」「帆船「日本丸」誘致保存運動」「横浜海洋博物館」「大桟橋」「山下公園」「港まつり」「氷川丸」「港内遊覧船」「山手」「横浜かるた」、「良平のヨコハマ案内」が「海洋博物館への夢」「ヨコハマの会」「港の色彩」「客船誘致」「良平のヨコハマ案内」。そもそも横浜に馴染みがあるか興味がある人向けと言える。

だが今横浜と聞いて多くの人が想像するであろう「横浜みなとみらい21」が生まれるそのときを間近で見聞きしていた話として大変面白い。みなとみらい21の中心たる桜木町駅前は三菱横浜造船、「すばらしい船たちを生んだ由緒ある造船所」であった。

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まず「みなと横浜片思い」ではまだ構想段階だった「横浜みなとみらい21」に委員として参加するなど関わるようになりはじめ、様々な夢を想像する柳原さんの思いが伝わってくる。

委員として参加する、と書いたがそもそも「みなとみらい21」という名前は選考前の企画調整局による荒ら選りのリストからもれていた中から柳原さんが引っぱり出してきた結果、決まったものだと記されている。

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このころの予想図は現在の姿とはいくらか異なる。この時点で横浜誘致が決定していなかった日本丸の姿や赤レンガパークわきに停泊する客船、フェリーふ頭、広い海へのロマンを感じさせる中央パークなど柳原さんがみなとみらい21を海や船に対する人々の理解や関心を深める新たなウォーターフロントとして期待していることが感じられる。

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本書にはその夢と期待を実現するために様々なアイディアが書き綴られている。↑は美術館(横浜美術館)と柳原さんも深く関わられた海洋博物館(旧横浜マリタイムミュージアム、現横浜みなと博物館)の構想というか勝手な妄想。

ただ、堅苦しいことは全く無く、山手に家を買ったら隣にラブホテルが建った話といったざっくばらんさである。

さて、これが6年を経て刊行された「良平のヨコハマ案内」ではこう↓なる。

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概ね現在の姿に近い。が、帆船日本丸のそばに立ち手を振り上げている人物にお気づきだろうか。

みなとみらい21”の計画が進んで、三菱重工横浜造船所の建物がつぎつぎと壊され、電車から前面に広々とした海が眺められた時、ああすばらしい景色だと思いました。こんな町のまん中で海が見られるというのは喜びでした。ところがだんだん先が埋立てられ、美術館が建ち、博覧会の建物が建って海は遠去かり少し淋しくなりました。

僕はみなとみらい以前の横浜を知らず、そのカタチが出来上がってからは幾度となく横浜から高島町、みなとみらい、桜木町、野毛などを遊んでいるが「海」を意識したことは正直皆無だった。上の文章を読んだとき、僕の見てきた「みなとみらい」と柳原さんが思い描いていた姿とが全く異なるものだと気が付かされ驚いた。そして確かに桜木町駅横浜線の車窓から広々とした海が見える情景が頭に浮かび、なんとも残念だなあと思ったりもしたのである。

おそらくこの二冊の間に、計画に際して様々な委員や理事を務める中で明らかな心情の変化が読み取れる。はっきり言えばこちらの本では批判がより多い。

しかして僕は「あとがき」の最初の文を読んでずっこけた。

少し町づくりに飽きました。

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というわけで柳原良平さんのざっくばらんすぎる文章私的ベスト3を挙げてみます。

第3位は、海洋博物館の計画における電通に対する文章です(「良平のヨコハマ案内」より)。

大体、電通なんて広告代理店は広告は上手ですが船や港の博物館なんてわかりっこないのです。そこらへんの船や港の本を急に読みあさってつくり上げる程度のものしかできないのは私にはとっくに分かっていました。

つまらない内容のタタキ台に色刷り頁入りの本印刷の資料など作ってムダ使いもいいところで、市民税がこんな下らないことで広告代理店ごときに流れてしまうのは大へん不愉快なことではないでしょうか。

というわけで電通案は白紙になったそうです。

第2位は、「良平のヨコハマ案内」の「中華街」です。

しかし、私はあまり中華街はくわしくないのです。よくわかりません。どこで食べてもそれなりにうまいですし、本で読んで人が大騒ぎして行列している店で食べても特に、やっぱり、さすがという程でもないように思いますから、あまり真剣に店を選ぶ気になりません。

案内シロ。「みなと横浜片思い」にも同様の文章が見られる。東京などでうまい中華料理に出会い、よくわからなくなっている、とまで書いている。

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第1位は、「みなと横浜片思い」に出てくる港まつりのミス横浜の審査員をしていることについての文章。

三回審査をしていて面白いことに気がついた。一回目の時は二〇〇人を超える美女を前にして、恥ずかしいが興奮した。私もまだ四十代だった。私は自分の好きな感じのタイプの女性を選んだ。個性的で気だての悪くない(決しておとなしいというのではない)女性を探したのである。三人まで入ったがほかの二人は例によって、どうでもいいような人になった。

おい、自重しろ。

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最後に、横浜のあれこれ以外にもこの本には大きな魅力がある、挿絵だ。

両書とも最初のカラー口絵各6枚をはじめとして文章中にも大小本当にたくさんの絵が描かれていて飽きることがない。特に上の「みなと横浜片思い」の口絵はどれも僕の知らなかった柳原さんのタッチで、とても素敵だ。

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柳原さんらしい船の絵だけでなくまさに船キチらしい「大桟橋のタグボート」を描いたものや建物、相模鉄道「緑園都市号」のデザインなど幅広い。

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しかし僕にとって今のみなとみらいに海や船のイメージは遠い彼方だが、両書を読んだことによって船に対する関心が大変高まったのは個人的には皮肉に感じる。

P.S.

横浜で柳原良平さんといえば、ありあけハーバーがおいしいです。

www.ariakeharbour.com