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「クノップフの世紀」を読んだ

奢灞都館から1995年に発行された生田耕作さんの「クノップフの世紀 ―絵画と魔術―」を読んだ。当時定価3500円、57ページ。

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内容としては1983年のNHK日曜美術館」の放送原稿をフェルナン・クノップフを中心にフェリシアン・ロップスなど象徴派の絵画とともにまとめた小冊子です。「ベルギー象徴派展」に合わせて放送されたものらしく、生田耕作さんと司会の対話形式です*1

表紙は1889年のクノップフ「天使」から切り取ったもの。

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クノップフの絵画における「象徴」がどのように読み解かれるのか、またどのようにしてクノップフの絵画が生み出されるに至ったのか、が短いながらも丁寧に説明されています。

例えば上の「愛撫」では描かれたスフィンクスとメルクリウス神から画面の奥に秘められた意味・象徴を解釈しています。

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またクノップフへの影響として、とりわけ作家であり「薔薇十字会」の主催者であったジョゼファン・ペラダンエリファス・レヴィの「高等魔術の教理と祭儀」などいわゆる「魔術」との深い関係性にふれています*2

クノップフに強い影響を与えたとされるペラダン自身「芸術家よ、そなたは魔術師である。「芸術」は大いなる秘蹟であり、芸術のみがわれわれの不滅性の証しである。」と述べており、象徴派においては「魔術」と「芸術」は分かちがたく、言わば同一です。

生田 (中略)「魔術」というのは、私は人間が一番知りたがっている問題、それに答えてくれる学問だと思います。一番知りたがっている問題というのは、(中略)やはり<生命とは何か>、<霊魂とは何か>、<存在とは何か>、<宇宙とは何か>、それからもし霊魂があるとすれば、霊魂はいずこより来たり、いずこへ去るか、つまり死後はどうなるかという、この大問題だと思うんです。
生田耕作クノップフの世紀」P45)

上のような問題は、本来「哲学」が扱う問題とされながら、これまで明確な答えを出すことができなかった。一方で、レヴィなどがこれに明確な答えを示したため、当時の文学者・芸術家に強い衝撃を与えたと言っている。生田さんが「魔術」をこのように説明し、「綜合的宇宙学」と呼んでいるのは大変に面白い。

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しかしこうした象徴を解さなくても「クノップフの作品は芸術的完成度において最高のもの」であり「誰でも美的陶酔に浸ることができる」と述べていて、生田さんがクノップフの絵画を愛していたことが伝わってきます。

そして最後のあたりになると生田節がさく裂しはじめます。

生田 (中略)<大衆文化社会>という言葉に象徴されるように、芸術・文学の領域においてまでも、出来るだけ多くの人間に理解されやすい、受け入れられやすいものだけが持て囃され、一言で言えば、低俗と量産が巾をきかせている現代です。
 そんな中で、クノップフに代表される象徴派の画家たちの大衆を見下した高踏的な作風に接しますと、まったく、砂漠でオアシスに出会ったような思いがいたします。
生田耕作クノップフの世紀」P53)

「大衆を見下した高踏的な作風」を「オアシス」と呼ぶ感覚がダンディズムとデカダンスを愛していたであろう生田さんらしく、笑ってしまう。

生田 (中略)しかし、全般的には<文学的絵画>はクノップフでもって終わりを告げて、あとは<非文学的絵画>といいますか、まず<印象派>に始まり、最後は<アブストラクト><モダン・アート>に行きつく、内容のない、奥行きのない、薄っぺらな美術がクノップフの亡くなったあと目白押しに勃興して、今日も隆盛をきわめているということになりますね。
生田耕作クノップフの世紀」P55)

近代芸術の最高傑作の一つと言われるミレーの「種まく人」を<最低の絵画>と言い切ったペラダンのごとくに。

amabiee.hatenablog.com

*1:NHKクロニクルによれば、1983年2月6日に「私とクノッブフ」として放送されたものだと思われる。

*2:人文書院から出ているエリファス・レヴィ「高等魔術の教理と祭儀」の翻訳は生田耕作さんの手による。